THE 倒産!


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9.新店の成功と、既存店の問題

 

自分が中心になって立ち上げた「うらしま沼田店」は、1995年12月6日にオープンして、その後年末に向けて爆発的な売上を記録していった。
創業店とは違って、家族的運営ではない、親族の関わらない普通の外食企業の店舗としての運営が、創業店の売上を超えていくことができれば、当初から考えていた家業から企業への切り替えが進んでいくものと思って、日々の営業に取り組んでいた。
まずは、創業親族の方々に自分が認めてもらわないことには、先に進んでいけない。かつて、外部から来た幹部が創業親族の方々との信頼関係を築かないまま事を進めようとした失敗を繰り返さないようにと思っていた。
ほとんどが新規採用だった従業員メンバーも、早朝から深夜まで過酷な状況を乗り越えていき、創業親族の推した店長ともこの超ハードな営業に一緒に立ち向かったことからお互いの信頼関係ができていった。
それでも、どうしても創業店の売上を超えられなかった。
店舗規模の差もあるし、人員配置の差もあるし…なのだが、そうした諸々の不利な条件を覆して創業店の売上を超えることが必要だった。
オープン月の月商は2700万円まで行ったが、3000万円を超えている創業店には届かなかった。56坪38席の店舗規模を考えれば、この売上は驚異的な繁盛店としてのスタートだったのだが、自分としては何とか超えたかった創業店の売上が超えられないことが唯一スッキリしない気持ちだった。
こうして年が明け1996年になると、自分の仕事における位置もできて、会社の中での立場もハッキリしてきて、社長である父親を支える形で経営にも携わるようになっていった。
そんな中、以前から予想していたように創業店の売上は前年比を割り続けるのだった。
こうしたことから、創業店においては営業スタイルを見直さないと今後更に新しい競合店の出店があった時には、一気に崩れてしまう恐れを抱きながら、創業親族の方々にこれからの運営スタイルについて話をしていったのだが、「創業店が一番売っている!」という売上を示されて、どうしても営業スタイルを見直すことには触れることができなかった。
利益率がどうとか、前年比がどうとか、そうした細かいことは一切話を聞いてもらうことができず、売上至上主義の売上額で結果を示さないとどうにもできないように感じた。

 

そうこうしているうちに、1996年の夏に「O-157食中毒」の騒動が起こった。
原因が特定できないというマスコミ報道が過熱して、熱を通さない食品は消費者から一気に敬遠される事態となった。
これにより、回転寿司業界も大打撃を受けた。我々の店舗においても売上が急激に落ち込んだのだった。

 

 

(2014年11月15日発信)


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