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「天命を待つ」しかないので…。
できることはやっておこう…と思って。
明日、今の自宅に引き続き住めるかどうかが決まる。
いずれにしても、今の建物は自分の持ち物ではなくなる。
そんなことはどうでも良く、引き続き住めるかどうか…が、問題なのだ。
妻の両親が競売入札してくれているので、妻の両親への売却が決まれば、そのまま住んでいることができる。
別の入札者へ決まれば、出ていかねばならない…。
それによって、引っ越しになり、子供たちは転校が決まる。
子供たちには、それとなく現状を話していたのだが、今日学校で通学班の会議があったそうで、小6の娘が「明日、引っ越しするかどうか決まります…」と言ったらしい。
これまでは、どうなるかはわからなかったので、先のことは考えないようにしてきたが、明日以降はその結果によってハッキリ考えていかないといけない。
この問題が片付くまでは…、自分自身が動けるようにしておかないと…と思っていたので、フリーで動ける立場にいたが、これさえ何とか落ち着けば、次の行動に移れるのだが…。
ということで、今日はお墓参りに行ってきた。
明日以降住み続けられることが決まったとして、次の行動である福祉関連の職業につくための行動として、県の支援機関へ行ってきた。
毎日の行動を記しているノートも新しくした。
悲観的なことを考えるのは嫌だったので、良い結果になったことを考えて…。
そして…、
大学病院の前も通って来た…。
この大学病院は、小6の長女と小3の双子の間に生まれ、生きることができなかった子供が、ほんのわずかだった生命を終えた場所。
何かあった時には、よくこの大学病院の前を通ってみるのだ。
特に何をするではなく、通ってみるだけ…。
ただ通ってみる…だけでも、その大学病院の建物を見るだけで、自分の人生の中で一番苦しく悲しかったことを思い出し、再確認するのだ。
この大学病院の建物を見ると、あの時の苦しさ、悲しさに比べれば、どんなこともたいしたことない…と思うのだ。
倒産した時の苦しさも、この建物を見た時には、何てことないと思えたくらいだ…。
一応…、思い出せることは、いろいろ思い出してみた。
ダメなら、ダメで、仕方がない…。
(2009年4月13日発信)