THE 倒産!


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12.その地域の人に選ばれないと…

 

1998年4月にオープンした焼肉屋「カルビ伝説」の開店時の特徴は、まずは接客サービスだった。
店づくり自体がこの地域にはなかった提案だったし、演劇経験者である自分が一緒になって取り組んだサービススタイルだったので、それなりに特徴はあったと思う。
ホールスタッフは全員女性の学生アルバイトメンバーで揃え、オープントレーニングを行ってくれたコンサルティング会社のトレーナーが熱心に情熱的な指導をしてくれて、明るく、元気で、楽しい雰囲気のサービススタイルが出来上がった。
ホールスタッフが使う掛け声や店の雰囲気はすぐに評判になった。女子高の部活動のようだ…、とも言われたが、そんな雰囲気の店はこの地域にはなかった。
いろいろな方がこの店のサービスの特徴を紹介してくれて、地元のテレビや新聞でも取り上げてもらった。
商品力は、研修させてもらった埼玉県の繁盛店のメニューレシピをそのまま使っていたので、それなりの味にはなるのだが、しかし自分自身が商品作りの勉強をしていないので、そこから先へと進んでいかなかった。
こうして開店時にはお客様が殺到したのだが、ある程度その流れが落ち着くとすぐに売上が低下し始めたのだった。
売上はオープン直後の月商は1500万円を超えたが、その後ジリジリと落ちていき、翌年になると1000万円を割り込む月が出てきてしまった。
これまで自分が関わってきた回転寿司店は月商2000万円、3000万円は当たり前だったので、この売上はショックだった。
そして、改めて気付き知るのだが、この地域の焼肉と言えば和牛であって、ホルモンと言えば豚ホルモンのことだということを…。
メニューの中心が輸入牛肉で、ホルモンと言われれば牛ホルモンを出していたメニューに、地域のお客様は違和感を感じたようだった。
自分自身もお客様から直接このことを言われたことがあったが、これからはこの地域でもこれが焼肉店の主流になる…、何しろ全国的に大繁盛しているやり方なのだから…、という自己本位な傲慢な考え方があったのは確かで、こうしている間に売上は更に低下していった。
繁盛店メニューをコンサルティング会社指導のままに提供したとしても、地域の食文化に合わなければ店として選んでもらえないのだ。
こうなってみて初めて飲食店はまず第一にその地域に合った商品力であり、自分自身が再度商品について勉強をしていかないといけないということを痛感したのだった。
そこから時間をかけて勉強したり、いろいろな方に教えてもらったりしながら、メニューを切り替えて地域に合うメニューを組み込んでいった。
この取り組みは1999年の夏頃から始めて、売上が再度上昇していく流れを取り戻すまでには、1年以上の時間がかかった。

2001年になってオープン直後の売上を上回り、月商2000万円に手が届くところまで売上が回復していき、ここまできて初めて焼肉店での手ごたえを感じるようになった。
そして、「これならやっていける!」。今後はこの自分が作り上げたスタイルの店舗を中心に会社運営を進めていこうと、自分の自信が確信となって感じられた頃、あの事件が起こったのだった。

 

2001年9月、千葉県でBSEの疑いがある牛が発見されたとの農水省発表をTVニュースが伝えた…。

 

 

(2014年11月18日発信)


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