THE 倒産!


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15.苦しみの中での新店…

 

2001年11月、激動の中でオープンを迎えた新しい回転寿司店…。
店名は「すし伝説」とした。この店名に「伝説」を付けるかどうかは迷ったのだが、「伝説」という言葉のインパクトからか、当時いろいろな方が自分の会社に興味を持ってくれて話をさせて頂く機会があった。
こんなに反響があるなら、これから自分が作っていく店にはすべて「伝説」を付けて、いろいろな飲食店の「伝説」を作っていこうと思っていた。
店舗のロゴやイメージイラストを、演劇活動時代に面識があったTV番組タイトル等のデザインを手掛けている某TV局のIさんにお願いしたところ、快く引き受けてくれた。

 

創業親族の中からは、「どうして『うらしま』にしないんだ!」という声があった。
「うらしま」という店は、回転寿司の効率化を追求していた店舗で、テイクアウト商品の大量注文に対応できるやり方を持っていた。
突然の大量注文に対応するために冷凍食材がメニューの中心になっていて、レーンを使った店内飲食よりも大量注文をどう売り切るかということを考えた営業スタイルだった。
回転レーン内に入ってお客様に対応する職員の配置は少なくして、裏から寿司マシンを使って一気に寿司を製造してレーンに流していく売り方で、レーンの上がメニューそのものであり流れているその寿司を見て好きなものを選んでもらえばいいという考え方だった。
このスタイルはこの頃から出店を加速してきた大型の百円寿司店と売り方の違いがなくなっていて、こうした大型の百円寿司店と同じ地域でぶつかればその価格と規模の差で間違いなく負けるだろうということはわかっていた。
現に「うらしま」を展開していたF社の店舗は、大型店との競合地域においてかなり苦戦していて、難しい経営状況になっているという噂があちこちから聞こえて来ていた。
低価格で勝負するなら、規模の大きな企業には敵わない。百円よりも高い価格でお客様に選んで頂くなら、その価値を表現して知ってもらって納得してもらえる売り方を作らないと…という思いがあった。
かつて、外食チェーン店に勤務していた時に感じていたマニュアル化しづらいことを売り物にしていかないと、規模の大きな企業には勝っていけないだろうと、その思いだけは継続して持っていた。
こうした考えから作ろうとした新しい回転寿司店なのだが、その準備期間に焼肉店が巻き込まれていったBSE問題で、自分の関わり方は完全にどっちつかずになっていた。
新しい会社を作って、新しい歩みを始めようとした矢先に起こった大問題…。
自分自身の精神状態は大きく揺らいでいた。
新しい回転寿司の準備に動いている中で、金融機関の担当者から焼肉業界の状況とそれに対する早急な対応を求める連絡が携帯電話に入ってきたりして、様々なことが頭の中で渦巻く中で動いていた。
それでも、新しくオープンする「すし伝説」がうまくいけば、こうした苦しい状況を一変させることができるだろうと考えていた。
それを自分の気持ちの支えにしながら、開店へと向かって行った。

 

こうした中で2001年11月30日にオープンした「すし伝説 前橋岩神店」だったのだが…。
これが思ったようにはいかなかった…。

 

 

(2014年11月21日発信)


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