THE 倒産!


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16.立て直しへ向けての決意…

 

今までやってきた店とは違う店舗づくりで、今までとは違うやり方で、今までの店舗の売上を上回る実績を作るつもりで立ち上げた「すし伝説 前橋岩神店」。
それだけのお金をかけて準備し、人員を投入して、オープンした店舗の売上は、オープン後の2001年12月で月商1600万円だった。
普通の飲食店として考えれば悪い数値ではないのかもしれないが、これまでの自社で行ってきた回転寿司「うらしま」の約2倍の規模の店舗を作って、売上は半分…。
年末年始の営業は、既存の「うらしま」から送られてくる営業報告と「すし伝説」の数値を見比べながら愕然とするしかなかった。
こうしてオープン後の「すし伝説」は、完全に人件費倒れする形で大きな赤字を垂れ流していった。
この状況に創業親族からの非難の声が強くなった。「すし伝説」に関わっているメンバーには、事あるごとに攻撃的発言が浴びせられた。
結果を見れば、どう責められても返す言葉もなく、こんな状況の中で「すし伝説」メンバーと自分との関係はギクシャクしていき、メンバーの中からも運営に対するマイナス発言が出てくるようになっていった。

 

BSE問題から赤字に陥った焼肉店「カルビ伝説」と、オープンから人件費倒れで赤字になった「すし伝説」。
「伝説」という会社を作って経営を分けて、これまでの「栄進」の店舗を徐々に吸収していこうと考えていた計画は最初から大失敗となった。
2002年、「伝説」としての最初の決算を迎える前に、この状況を考え「栄進」で店舗を吸収する形を取り、「株式会社伝説」は名前だけ残して休眠会社の手続きを取ったのだった。
こうした判断に対しても、創業親族からの非難の声は更に強くなり、ここまで指導してもらってきたコンサルティング会社に対しても激しい抵抗の声が出てしまい、この会社との契約を打ち切ることでこうした非難の声を少しでも沈静化させようとした。

 

それでも、会社としては前へ進んでいかないといけない。
不振の店に対しては、もう一度自分から中へ入って関わって、立て直すしかないと思った。
「栄進」の既存店においても、利益は確保してはいるが売上の下降はハッキリしている。
赤字を出している「伝説」の店舗は、根本的に立て直さないといけないし、「栄進」の既存店においても今のままではやがて会社は立ち行かなくなることは会社数値の流れを見れば明らかだった。
そして、自分としては赤字店から順にすべての店舗にもっともっと深くかかわるようにして、もう一度全メンバーとの信頼関係を築き上げないといけないということを思い、動き始めた。
ここまでギクシャクしてしまった集団をもう一度まとめて進んでいくには、経営者もすべて一本化した方が良いだろうという父親と自分との考えもあり、父親は完全に経営からは引き下がり、全体の代表取締役として自分が立つことになった。
すべての問題を受け止めて、前へ進んでいこうと決意したのだった。
2002年6月、「栄進」と「伝説」は一つにまとまり、もう一度新たなスタートを切った。
ちょうどこの頃、関係を絶つことになったコンサルティング会社からかつて焼肉店オープンを指導してもらったトレーナーが独立するという連絡をもらっていて、こうした会社の現状を話し、会社の立て直しに力を貸してもらうことをお願いしたのだった。

 

世の中は日韓ワールドカップで熱狂している時で、このコンサルと車の中で今後の会社の進め方を話していた時に、日本vsベルギー戦のラジオ放送が流れていたのをよく覚えている…。
先制点を許した日本がすぐに追いついて、この瞬間は二人で車の中で声を上げた!
日本中が興奮しているだろう試合中継を聞きながら、自分も「絶対に立て直す…!」と心に誓っていた。

 

 

(2014年11月22日発信)


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