THE 倒産!


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18.会社は立ち直ったが…

 

「すし伝説」で行った全メンバーを集めての話し合いは、この後一店舗ずつ行って行った。
2002年の秋から2003年の春にかけて、「カルビ伝説」「FCラーメン店」「うらしま中之条店」「うらしま沼田店」と、一つずつの店舗で時間を取って、全メンバーに話をする時間を持った。
自分が全体のリーダーとして進んでいくにあたり、全メンバーとしっかりと信頼関係を築くこと以外に、現状抱えている問題を突破していくことはできないと思っていた。
こうした取り組みをメインバンクである金融機関も支持してくれていて、いろいろな場面で大きな協力をしてもらった。
そしてメンバーとの話し合いを終えた店舗は、不思議なことに次々と業績が上向いていったのだった。
飲食店は人がすべて…。そこにいる人が商品を作り、売上を作る…。それを実感するような結果が次々に生まれていった。
しかし、最後までこの全メンバーとの話し合いができなかった店舗があった。
回転寿司の「創業店」と、仕出し弁当の「総合センター」が残ってしまった。
この店舗は、自分のおじさん、おばさんである創業親族の方が中心にいる店で、自分がこうして続けてきた取り組みに対しても強い反対姿勢を表していた。
この店舗も同じように立て直しのための手を付けるという自分の方針に対して、真っ向反対のぶつかり合いになってしまった。
お互いに怒鳴り合い、声をからして言い合ったこともあった。何故わかってもらえないのかがわからなかった。
そんな行動を取るなら、徹底的に妨害するとのことだったので、もしもの時のためにと、弁護士さんに相談に行ったりもした。
親戚本家の法事の時に親族全員に話を聞いてもらおうと思って、菩提寺の和尚さんに相談に行ったこともあった。
後になって思えば、この時にもっと違ったやり方で創業親族の方々と接することができたら…、と思う。それができなかったことが悔やまれる。
あの時はお互いに感情的になって、激しくぶつかり合ったのだが、時が過ぎて自分が倒産手続きをした後に、こうした創業親族のおじさん、おばさんたちが自分たちのことを守ろうとして動いてくれた事実があった。
みんな最終的にそんな結果が来ることは望んでいなかったのだ。

まさかそんなことになるとは、自分とぶつかっていたおじさん、おばさんも、思ってなかったようなのだ。
でも、この時は怒鳴り合うことしかできなかった…。

 

21世紀の声を聞いてからは、自社の中で圧倒的な利益を稼ぎ出すような店舗はなくなっていた。
かつての創業店のように、驚異的な売上を上げて一店舗で会社全体を支えてしまうようなそんな店舗はもうなかったのだ。
今までの店舗運営方法では、売上が下がればそれに合わせたコントロールができずに店舗損益は厳しくなっていく。
地域における競合店の出店はどんどん加速されている。
もう時代は変わっていたのだ…。
だからこそ、新しいやり方を求めて出店したし、だからこそ既存店は変わっていかないといけないと言い続けてきた。
こうした中で新しく取り組んだ出店があり、過去からの借入金に新たな借入金の返済が重なって、月の金融返済額は1000万円近くになっていた。
ここで何か悪い出来事でも起こり、大きな赤字店が出れば、たちまち行き詰るような状況になってきていた。
それでも、全メンバーとの話し合いを通して全店の実績が上向きになってきている傾向があり、この取り組みができなかったおじさん、おばさんが取り仕切っている二つの店舗もこの段階ではまだ経営上のやりくりはできていたし、これ以上創業親族ともめるとせっかく盛り上がってきた会社全体の空気がまた壊れてしまうという恐れから、各店メンバーに対して自分が突っ込んで関わりを持つ取り組みをここまでで一時終わらせることにしたのだった。

 

これが、2003年の夏のことだった…。

 

 

(2014年11月24日発信)


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