THE 倒産!


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19.関係会社が倒産!

 

2003年の夏以降…、いろいろなことが更に大きく動いていく。
一店舗ごとに行った立て直しの取り組みから、各店舗における自分の関わり方、運営の進め方はやりやすくなった。
回転寿司の部門と、焼肉・ラーメンの外食サービス部門と、事業部を分けてそれぞれの部門での利益確保を目指すようにした。
現実にはこの他に創業親族が中心にいる創業店と、仕出センターがもうひとつ別にグループとして存在しているという何ともおかしな組織となっていたが、全体的な運営自体はある程度形ができてきていた。
回転寿司事業部と、外食事業部とではそれぞれの役割も明確になってきていて、地道に着実に前へ進んでいるということを感じられるような状況が生まれていた。
業績も年商10億円を再度超えてきていて、会社としての大きなピンチは脱した感があった。
メインバンクである金融機関も全面的な協力を約束してくれ、借入返済額の条件変更も了承してくれた。
これまで進めてきた各店舗の立て直しの取り組みを評価してくれ、このままこの取り組みを継続して創業店の改革に手を付けるように言ってきた。
創業店の店舗改装を含めての融資協力の申し出があり、自分としても一度はその話を受けてそこに進んで行くことを約束しながらも、いざ動こうとした時に感じた、ずっと続いてきている親族問題が大きくなることの方が現在の会社にとってはマイナスになるとの考えから、どうしてもそこに踏み込めなかった。
それでも、全体的な業績の流れが良くなって来ていることから、自分としても一つの段階は越えて、さて次の段階だ…、という気持ちでいた。

 

2003年10月31日、その出来事はいつもと変わらない昼過ぎの本部事務所にFAXの通知で流れてきた…。
最初はそれが何を伝えようとしている通知なのかよくわからなかった。
何となく手にして、その文章を読んでいるうちに内容がわかってきて、自分自身その場で動きが止まってしまった。
それは、「うらしま」の店名で回転寿司店を40店近く運営しているF社が、民事再生申立てをしたとの通知だった。
この通知は、この時間に一斉に関係会社に流されたと思われて、自分が通知の意味を知るのと同時にいろいろな方からの連絡が続いた。
「自分たちの会社とは関係はないので、大丈夫です…」と、繰り返しこの言葉を伝えたようなことを記憶している。
F社の創業期に一緒に動いていた父親にこのことを伝えて、早速この会社の本社へと向かった。
F社の社長や幹部は関係会社をまわっているらしく不在だった。
経営上の直接な関係はなくなっている会社とは言え、創業時は全面的な協力をしていた父親に、今後どんなことが起こってくるかが不安だったが、当面は状況を見守るしかないと思っていた。

 

 

(2014年11月25日発信)


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