THE 倒産!


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21.出店の決意

 

F社の倒産後、しばらくはその後の成り行きを見守るしかなかった。
我々にどんな影響が出てくるかは、いろいろなことが動いていかないとわからないことばかりだった。
F社の申立てからしばらくした頃、F社の本社と本店の土地を貸していた地主さんから「困っている…」との相談を受けた。
なんでも、貸していた本店はほんの数か月前に居酒屋として改装したばかりだったのだが、これは全部地主さん投資で行ったとのことだった。
それが、改装してすぐにこんなことになってしまって賃料すらもらえなくなって、本当に困っている…、とのことだった。
このF社の本店とは、父親が渋川市で回転寿司を創業した後、2号店として出店した藤岡市の店舗だった。
その後、F社は父親と袂を分かちこの藤岡市を拠点として出店を続けていったのだが、F社の創業時を思えば、父親はこの地主さんとの様々な思い出があるようだった。
父親を車に乗せて、F社の件で関係者をまわっている車の中で、「あの店、何とかならないかなぁ…」と何度もつぶやいていた。
その後自分にも、不動産屋さんが間に入って正式に出店依頼の相談が来た。
父親のつぶやきもあったし、地主さんと直接会って話す中で、何とかできないか…と、自分も考えるようになっていった。
自社における状況は落ち着いてきていて、各店舗の業績もある程度安定してきている。
自分自身様々な危機を乗り越えてきて、店舗運営に関しての自信を持つようになってきていた。
特に営業不振の店舗を改革し、業績を改善することに対して自社店舗の実例もあったし、どんな悪い状況の店舗があっても、やり方を考えれば何とかやれるものだと思っていた。
倒産に追い込まれたF社の本店建物を使っての出店も、自分のやり方で行けば、やれるのではないかと考えていた。
直前にメインバンクから自社「創業店」の立て直し改装に関しての要望と資金融資の話があったが、親族問題を考えて「創業店」に手を付けることはできないと思い、その融資をこの藤岡市のF社本店の出店に切り替えて使わせてもらえないかと考えた。
メインバンクはこの話にちょっと微妙な反応だったが、何とか協力をしてもらえそうだった。

一緒に行動しながら店舗改革に取り組んでいたコンサルタントにも相談し、日に日に「やろう!」という気持ちが強くなっていった。

 

2003年12月初旬、最終的にどうするかを決断しようと思って、現地に行き車の中で一人考えていた。
一日中、その店舗周辺の状況を見て確認していた。
暗くなってきた頃、車のラジオから前月末にイラクで殺害された日本人外交官のニュースが流れていた。小泉首相が涙声でコメントを話していた。
世の中にはこうして自分の想いとは関係なく命を奪われる人もいる…、と思った。
今、自分が何かに挑戦できる環境にあるなら、それは挑戦すべきだ…と自分の意思を固め、出店を決意したのだった。

 

 

(2014年11月27日発信)


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