THE 倒産!


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25.苦しい決断

 

2005年以降、様々な動きの中から自分自身が“もしもの時”を考え始めることはあったのだが、もちろん、もう一方では会社を何とかしてもう一度浮上さてやるという強い気持ちもしっかり持っていた。だからこそ、自分たちの成功事例である「すし伝説」スタイルの回転寿司店を作っていくことに方針を定めて、とにかく前へ進んでいくことを決意していた。
ほぼ現金商売である我々のような会社は、経営者があきらめない限りはつぶれない。それは常に思っていたことであるし、自分はどんな状況がやって来ようがあきらめるつもりはなかった。

 

「すし伝説 渋川入沢店」への改装を決めた「FCラーメン店」は、かつて自分が外食産業の修行という意味で就職させてもらい、業界の様々なことを教えてもらった会社のFC店だった。
この会社のW社長には、外食産業の基本的な考え方から、会社トップとしての姿勢まで本当にいろいろなことを勉強させてもらってきた。
毎年、この会社の本社がある静岡県浜松市を訪ね、W社長にいろいろな話を聞かせてもらうのが自分でも楽しみだった。
W社長は、外食企業の社長としての自分の理想像と思っていた。
その会社のFC店舗を、FCを脱退して回転寿司に切り替えようというのだから、この時は本当に心が痛んだ。
直接話をさせてもらおうと思って、本社に面会希望の連絡をしたが、「今は会えない…」との返事が会社担当者を通して返ってきた。

 

怒っているのだと思った…。

 

あれだけお世話になってここまでやってきた自分が、突然FC脱退のお願いをしてきているのだから無理もない…、と思った。
自分はW社長に手紙を書いた。
その手紙にも返事はなく、事務的な手続きを経て「FCラーメン店」は、2005年4月末で閉店した。
そして改装工事の後、2005年6月16日「すし伝説 渋川入沢店」がオープンしたのだった。
オープントレーニングは自分で行った。
「すし伝説 前橋岩神店」メンバーが協力してくれて、大学を卒業して地元に戻っているかつてのアルバイトメンバーたちも遠路はるばる多数駆けつけてくれた。
こうした「前橋岩神店」の学生メンバーは、本当に頼もしかった。
社員メンバーも社内における主力級の顔ぶれが集結して、「すし伝説 渋川入沢店」は自社創業の地に新しい回転寿司店をスタートさせたのだった。
オープンは比較的順調にスタートできたのだが、自分としては、閉店した「FCラーメン店」のお世話になったW社長への思いが何とも心にひっかかったままだった。
オープンした店舗の状況が落ち着いたら、W社長に会いに浜松へ行こうと思っていた。

 

この時、自分に対して怒っていて連絡をくれないのだろう…、と思っていたW社長が連絡できなかった本当の理由は、この時の自分にはまったくわからなかった…。

 

 

(2014年12月1日発信)


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