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32.金融機関との綱引き
2007年8月で「総合センター」を閉鎖撤退し、自分はこの引き継ぎや、撤退後の処理を行いながら、金融機関との交渉を続けていた。
金融機関への返済をストップして、赤字店舗の閉鎖撤退を進めていき、利益獲得店舗を残して再スタートするというのが再生計画の骨子になるのだが、過去から現在まで抱えてきている金融機関からの借入金を、残った店舗の利益で返済していくことの問題が残っていた。
店舗数を減らすのだから、会社としての規模も縮小する。残った店舗が計画通りに利益を獲得する流れができれば、また出店する体制を取るのだが、会社が抱えている負債がどうしても重荷になることは明らかだった。
この残っている負債の返済計画が説明のつく数値にならないと、再生計画としては成立しない。
自社の抱えている過去から積み重なった借入金額は、残す店舗の利益で返済していくにはあまりにも多くなっていた。
世の中では大企業の不良債権処理において、金融機関の私的整理による債権放棄の例があちこちで伝えられていた。
これは過去の負債をチャラにするというあまりにも企業側の身勝手な要求になるのだが、これから先のことを考えれば、不良債権が重荷になって企業が破綻してしまっては企業に関係する多くの人が困るわけで、またこれは金融機関においても最も避けたい事態で、こうした諸々のことを含めて考慮すると、企業の存続を支えた方が良いという判断になる。
こうした企業再生への後押しが地方の中小企業にも広がってくるというニュースを聞いていて、こうしたことを後押ししている県の再生支援協議会へ話を聞きに行き支援を求めた。
そして、自分は独自に各金融機関へ私的整理による大きな協力を求めて説明に歩いた。
様々な資料を作成し、現状の説明をして、再生計画に最終的に金融機関の協力を組み込んでもらいたいことを訴えた。
会社における親族問題がやっとひとつの段階を越えていたので、ここで金融機関の協力を組み込めれば、再生計画の実現は何とかなると思っていた。
各金融機関からは、最終的にはメインバンクの対応にならって判断するとの回答をもらった。
こういう場合、金融機関は足並みを揃えることを求めるもので、一つ一つの金融機関をまわりながら説明していくことは、多くの時間と労力を要する。
再生支援協議会の支援が得られれば、こうした説明を一度にできるのだが、この承認を得るにはまた様々な条件があり、それをクリアしていくことも非常に時間がかかることだった。
何度かその条件をクリアすべく動いてみたが、その決定を待つこともできなかったので、この段階では一つ一つそれぞれの金融機関と交渉していくしかなかった。
それでも、ここまできたらメインバンクが決断してくれれば、まさに起死回生の大転換になる…というところまでは漕ぎ着けた感があったのだが…。
メインバンクとの最終的な交渉になって、これが何とも先へ進まなくなった。
「前例がないので…」とのことだった。
実際、この頃になると県内でもこうした銀行の大きな協力の例が複数出始めていたのだが、この段階では自社のメインバンクではまだ事例がないことだったのだ。
また、この頃からメインバンクの決定権限のある責任者が変わっていたこともいろいろ複雑に影響があったのかもしれない。
これまでの全面的な協力姿勢から、我々に対する対応が少し変化してきているようには感じてはいた。
これは、これまで全面的に協力してもらってきたにもかかわらず、我々の業績がなかなか改善されなかったことからある意味仕方がないとは思ってはいたが、少しずつお互いの信頼関係は変化してきていたのだ。
こうして、私的整理による大きな協力を求める自社に対して、メインバンクの最終的な結論が出ないまま時間が経過していった。
(2014年12月8日発信)