THE 倒産!


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47.謝罪

 

2007年11月29日、木曜日。裁判所への申立から2日目…。
この日から自分は、債権者となる方々への謝罪に動いた。
午前中は金融機関をまわった。最初は最大債権者となるメインバンクを訪ねた。
朝、メインバンク本店の駐車場でシャッターが開く時間を待っていたが、まずここで最初の精神安定剤を飲んだ。

 

あの朝の車の中…。思い出すと、今でもあの時の心臓音が聞こえてくるような気がする。

 

こうして、午前中は金融機関をまわり、午後から大口の取引先を訪ねた。
仕入業者さんの中で債権額が一番大きくなってしまった業者さんでは、社長さんから「どうして言ってくれなかったのか…」ということを強く言われた。言ってくれれば、援助協力してくれる企業を紹介できたのに…と、憔悴した表情で言う社長さんを見ていて、自分としても何とも申し訳なく思った。
自分としては、こうして迷惑をかけてしまった業者さんとの取引を、再生スポンサーに移行した後の店舗で継続していけるように努力することを説明して、頭を下げるしかできなかった。
こうして、お詫びの挨拶まわりをしている間、ずっと自分の携帯電話は着信の振動が続いているような状態だった。
音を消していたので、誰かと話している途中で電話に出ることはしなかったが、お詫びの後の駐車場で電話を取ることもあり、電話機に向かっても頭を下げていた。
この日のお詫びの挨拶まわりは、夜まで続いた。
こうして債権者となる方々にお詫びの挨拶でまわっている間に、どのくらいの量の精神安定剤を飲んだのか覚えていない。
かなりの量を飲んだのだと思う…。

 

翌11月30日金曜日。裁判所への申立から3日目…。
遠方の大口仕入業者さんを訪ねた。
朝から車を走らせて、県外の業者さんを目指したが、途中のコンビニでこの日の朝刊を買った。
この日の朝刊に記事が載ることは知っていたので、その報道のされ方が気になっていた。
新聞記事には、すでに再生スポンサーとなる企業名が出ていたので、これで少し話がしやすくなると思った。
店舗が営業を継続することがわかれば、取引先も少しは落ち着くと思われ、自分たちが逃げも隠れもしないことをわかってもらえると思った。
実際、前日関係者へ一斉に送った通知を見て、本社や店舗に怒鳴り込んできた業者さんもあったようだ。
自分は挨拶回りで大口債権者をまわっていたが、こうして本社や一部店舗は大変だったということを後で知らされた。
それでも、説明をしてその場で納得してもらうことができたようで、品物の回収や金品の引き上げはなかったと報告を受けていた。
とにかく、店舗の営業を継続させ、従業員の雇用も仕入先との取引も、このまま続けていくことがこの民事再生を選択した理由なので、それを何とかわかってもらうよう説明を繰り返すことに努めた。
県外の仕入業者さんでは、強い非難を受けたりもした。
これもすべて受け止めなければいけないことだと思って、ひたすら耐えていた。
業者さんから次の業者さんへの移動中、疲れ果てて道路の端に車を停めて、しばらく目を閉じたりしていた。
そして、この件が落ち着いたら、子供を集めた習い事教室でも開こうか…なんて、現実と離れたことを考えたりして、この現実の苦しさを耐えていた。
県外仕入業者さんへのお詫びまわりから群馬への帰り道、高速を走っていると東京の仕入業者さんから携帯に連絡が入り、すぐに会いたい…と言われた。高速を走っている途中だと言い走行中の場所を教えると、高速のSAを指定されてそこで会うことになった。話と言うのは仕入代金の支払のことで、弁護士事務所を通してくれと言う自分に対して、後を追いまわすように付いてきて支払を迫った。私的に個人で支払ってくれ…等と、執拗に迫られた。
こういうこともあるかもしれないとは思っていたが、夜の人影少ない高速のSAでの深刻な会話は、何とも異様な恐怖を感じた。

何事もなく帰ってこれたから良かったが、一瞬どうなることかと思った。
自分としても、何とか仕入業者さんとの取引を続けていく中で、後にこの時のご迷惑を取り戻して頂きたいという思いで再生へ取り組んでいる…と、そのことを何度も説明し、とにかく頭を下げ続け、振り切るように帰って来たのだった。
こうしたことはいつまで続くのだろうか…、と思っていた。

 

 

(2014年12月23日発信)


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