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51.社長でなくなる瞬間
営業を継続する店舗は、2007年12月いっぱいは民事再生を申立てた自社の運営で、2008年1月1日からは再生スポンサーの新会社へ移行しての営業となることが決まった。
12月中は、自社で売上金を回収して、この現金収入のやりくりで経営を行っていた。自分は連日、各店舗をまわり売上金の回収をしながら、メンバーから出る今後についての不安に関する話を聞いていた。
自社の倒産処理が具体的に動いてくるし、新会社での自分の役割もあるし、毎日あちこちへ飛び回っていた。
営業が引継がれていく店舗の慌ただしい動きの中、唯一再生スポンサーに引き継がれなかった店舗となった創業店の営業は、12月25日で閉店とした。
創業店にとってクリスマスというのは、開業以来ずっと一年で一番忙しい日で、かつて最盛期の頃はこの日の売上が400万円を超えたこともあった。
この日を創業店の営業最後の日に選んで、創業親族の方々も営業に加わり最後の営業を行った。
倒産報道があり、閉店が決まっていて、人員も満足に揃えられない店舗であるにもかかわらず、売上は100万円に達した。
特に閉店を知らせたわけでも販促をしたわけでもなく、普通に営業して、ひっそりと店を閉めようと思っていた店なのに、こうして特別な日には忘れずに利用してくださるお客様がこれだけいるということを改めて感じて、この店ももっと早い段階からやり方を考えて手が打てていれば…と、くやしい思いがこみ上げてきた。
この日の営業をもって、創業店は26年の歴史に幕を閉じた。
引き継がれる店舗にしても、自社での営業は12月31日で終了する。
それまでは自分の会社の店だけど、翌日の2008年になればすべて別の会社の店舗になってしまう。
年末になってからの数日間、各店舗をまわって売上金を回収しながら、それぞれの店舗におけるいろいろな思い出を想いながら店舗間を移動していた。
ここまで来て、感傷的な心境になってもどうしようもないのだが、それぞれの店にはそれぞれの思い出がある。
お別れの気持ちを込めて、日々店舗をまわっていた。
2007年12月31日、月曜日…。
最後の店舗まわりとなった。
自分自身はしばらくの間は再生スポンサーとなったA社に残って勤務するので、A社に行くメンバーとはまだ関係は続くが、他のスポンサー企業へ行くメンバーとは最後になる。
心配をかけ、迷惑をかけたメンバーの皆さんに対して、何か最後に言葉でもかけたい…、と思っていたのだが、各店舗の営業中に顔を出しているわずかな時間ではなかなかそんなこともできずに最後の店舗まわりとなったこの日も、いつもと同じように時間が過ぎて行った。
こうして、12月いっぱい各店の売上金でのやり繰りで、何とか会社の営業を続けることができ、自社としての最後の業務はこの12月分の従業員の皆さんの給料を1月10日の給料日に支払うのみとなった。
支払うための資金も確保できている。ここまで来て、少なくとも最低限の責任は果たせそうな安堵感があった。
夜になり、自分が社長としての時間があとほんの数時間なんだ…、と思った時、全身を脱力感が襲ってきた。
日が変わって2008年になったら、自分はA社に社員として勤務することになっていて、正月営業で店舗に入って業務を行うことになっている。
年が明けた深夜に、店舗の販促用装飾品を飾るためにA社経営者と待ち合わせをしていて、自分が経営者の立場で過ごす最後の数時間をどこでどう過ごそうか…と、極度の脱力感の中で時計を見ていたのを思い出す。
「いつか、この今の気持ちを振り返って思い出せる日が来るのだろうか…」そう思って、あと数時間となった自分の社長としての時間を噛み締めていた…。
日付が変わるその瞬間は、店舗近くのラーメン屋さんで迎えた。
時報と共に日付が変わった瞬間、大きく息を吸い込んで、自分の心の中にあるこの時のいろいろな感情を飲み込むように、胸の奥の奥の方へ収めた…。
自分は、あの時、あの瞬間のことは、ずっと忘れないだろう…。
こうして、自社店舗の営業はすべて終了し、自分の外食企業経営者としての時代は終わった。