プロフィール

プロフィール

根木寛正(ねぎひろまさ)

 

1965年(昭和40年)8月21日、群馬県渋川市生まれ。
中学時代は野球部に所属。
高校ではボクシングに興味を持つが、学校にボクシング部がなかったため市内のボクシングジムに通い、隣の学校のボクシング部で練習し、インターハイ群馬県2位になる。
また、高校1年秋よりアイドル歌手を目指してタレント養成所へ通い始める。週末は東京へレッスンに通い、平日はアルバイトでお金を稼ぎながらボクシングジムへも通うという高校生活を送る。
1年浪人の後、國學院大学文学部に入学。
大学在学中に、所属していた演劇サークルを母体に劇団を旗揚げし、主宰として都内小劇場を中心に活動するのと同時に、外部劇団や商業演劇、TVCM、カラオケビデオ等、生活の糧を得るために積極的に活動の場を広げる。
25歳の時、あらゆる意味で人生を考えようと自転車で旅に出る。東京〜東海道〜中国四国〜九州をまわりながら、いずれは飲食業を営む両親の下で、外食産業の世界に入ることを考える。
1991年、外食産業を学ぶために、静岡県浜松市の外食チェーン企業に入社する。
1993年、一度東京へ戻り、演劇活動を再開すると共に、テーマパークでのキャラクターショー等に出演する。
1995年、結婚を機に地元群馬に戻り、両親の経営する(有)栄進に入社。最初に回転寿司新店舗の立ち上げを任される。
新店舗は順調なスタートを切るが、翌年にO-157食中毒問題が起きて、回転寿司店の売上が激減しいきなりのピンチを迎える。
1998年、ピンチを乗り越えた回転寿司店の他に別の業態開発を考え、店舗展開のもう一つの柱として焼肉店をオープンする。
焼肉店が順調に業績を伸ばしていくのに伴い自らの会社として(株)伝説を創業し、『伝説を創ろう!』を合言葉に事業拡大を目指す。その後『伝説グループ』として回転寿司、焼肉、ラーメン、和食、ケータリングの5業態を手掛け店舗を展開し、年商13億円規模まで拡大する。
2001年、日本における狂牛病問題が勃発し焼肉店の売上が激減し倒産危機を迎える。ここは新しいタイプの回転寿司新店を立ち上げての売上増で乗り切る。
2003年、自社の回転寿司店と同じ店名で店舗展開していたかつてのれんわけした会社が約23億円の負債を抱えて倒産。負債の中に父親の代から連帯保証していた借入があり、一部の負債をかぶることになる。
2004年、親族が多く勤務する創業店が赤字店舗になっていることから、創業店を改革しやり直すために銀行融資を受けるが親族との話し合いがつかずに改革に手が付けられない状態になる。その後この融資を新店オープンに転用し売上増による危機脱出を図るが、新店はオープン4ヶ月で撤退という大失敗となる。結果、金融機関との信頼関係がくずれて更なるピンチに陥る。
2007年、前橋地裁に民事再生を申し立て、事実上の倒産。スポンサー企業に店舗を売却し、1年間引き継ぎのためスポンサー企業に勤務する。
2008年、スポンサー企業を退き失業状態となり、ハローワーク通いを体験する。4人の子供を抱えての職探しに歩きながら、年商13億の社長から失業者へと数年のうちに転げ落ちた実体験をいずれ何らかの形で活かせるように復活しようと決意する。
2009年、介護資格を取得し、介護企業に勤務する。その後、介護施設施設長を任される。
2010年、介護施設施設長としての仕事をこなしながら、『OFFICE fups(フップス)』を立ち上げ個人活動の窓口とし、時間の許す限り個人での活動を並行して始める。

 

現在、介護施設の仕事を続けながら、個人での活動を並行して行っている。
「倒産」「事業継承における失敗」…等をテーマにした講演活動を行っている他、倒産後の生活を題材にした週刊誌記事、TV番組等の取材依頼も、個人生活に影響のない範囲で受けるようにしている。

 

 

 

 

 

Seno-J (瀬野純)

 

劇団Flare-UP(フレアー・アップ)座付作家
Flare-UP(フレアー・アップ)公演は、1996年を最後にそれ以降行われていないが、解散したわけではない。

 

 

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活動実績

根木寛正【講演実績】・長野県長野市「長野法人会」次世代育成セミナー 講演・愛媛県松山市企業様研修会 講演・群馬県中小企業診断士セミナー 講演・群馬県立渋川青翆高校30周年記念式典 講演・群馬県太田市倫理法人会 講演・群馬県渋川市倫理法人会 講演・群馬県立渋川青翆高校 就職指導講演・群馬県立渋川工業高...

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