倒産社長!再起への「道」!!


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「私の高校時代…。」その18

1982年…。
ボクシングで準優勝(←出場者二人だけど…)。
TVドラマ「3年B組貫八先生」に出演(←エキストラみたいな役だど…)。
と、判断としては「?」なのだが、疑惑付きながらも年初に立てた目標を達成したと結論付けた自分は、新しく「アイドルとして、デビューする!」という目標を掲げ、更に芸能活動に邁進する気持ちになっていた。
アイドルと言えば、もちろん歌手だ。歌に自信があるのかと言えばそれは微妙で、寺尾聰の歌マネが多少似ている…と自負している位だ。だいたい、寺尾聰はアイドルじゃないし、すでにブームは終わっていた…。
こんな自分が歌手をやりたい!なんて言っていいのかどうか…。
でも、この時の自分はアイドルになりたい!と本気で思っていたのだ。
それだけ自分にとってはアイドルが輝いて見えたのだと思うが、養成所の友人たちもほとんど同じような考えだった。と言うか、そうした同じ想いを持つ人たちと、いつも一緒にいたので影響を受けたのかもしれない。
養成所の偉い人にそんな自分の気持ちを伝えて「東京に引っ越します!」なんてことを訴えたのだが、「大学生になるまで待て!」と、相手にされなかった。
養成所の仲間同士で、大学生まで待っていたら、アイドル適齢期の年齢が過ぎてしまう!何バカなことを言ってるんだ!と怒っていた。バカは自分たちなのだが…。
同じ夢を持つ友達同士の中では、アイドルとしてデビューするのは18歳までが限度だという考えがあった。
TVを見れば、自分たちよりも年下のアイドルがどんどんデビューしている現実に、早くアイドルデビューしないと…!という気持ちがあった。
また、アイドルデビューするには、その前にTVドラマや映画等で、ある程度人気を得てからの方が成功しやすい…、とも思っていた。ということは、少なくとも高校2年生のうちに何かしらの番組に出演して一般的な知名度を獲得しておかないと…、とそんなことを考えていた。
今から振り返れば、ほんとバカ過ぎるのだが、当の本人たちにしてみれば大真面目だった。
こうして、養成所に「もっと仕事が欲しい!」というアピールを展開したのだった。
そんなアピールの結果、映画のちょい役の仕事をもらったりした。

思い出すのが、本物の不良を役者に使って一部では話題になったりもした映画「夜をぶっ飛ばせ」にちょこっと出たりしたこと。
もちろん自分は不良役ではなく、その他の真面目な普通の生徒としてクラスにいるだけのほぼエキストラなのだが、早朝の新宿西口スバルビル前に集合…、とか言われて、やっぱり前日から上京してカプセルホテルに泊まって…、なんてことをやっていた。
ロケバスで、翌年にオープンするする東京ディズニーランド近くを通って、出来上がったばかりのシンデレラ城のシルエットが本当に夢の国に感じて、すごい場所ができる…、と眺めていたこととか、思い出に残っている。

 

 

(2015年11月19日発信)


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