THE 倒産!


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8.問題を残したまま…。

 

新店舗は1995年12月のオープンを目指して準備を進めていった。
この開店を任されていた自分は、この新店舗の成否に今後の会社を家業から企業へと変えられるかどうかがかかっていると考えていた。
そこで、営業スタイル自体はこれまで創業親族の方々が築き上げてきたスタイルをそのまま引き継ぐ形で創業親族の方々と自分との信頼関係を作ることに専念し、店舗の従業員はすべて新しく採用するメンバーで運営しようと思った。
創業店が作り上げてきた営業スタイルは、父親自らが「田舎コンセプト」と命名していて、地方部においては創業店と同じように支持して頂けるだろうという読みがあった。
ただ、職員の配置に関しては、正社員比率を下げてアルバイト職員を多くしていくようにして、親族集団の家族経営的な運営からの脱皮を図ったのだった。
結局、自分と一緒に動いてもらう幹部一人だけを決めて、後のメンバーはすべて新規採用で行うことにした。
それでも、店長だけは親族からの要求があり親族が推す社員を店長として置く形を取ることになったが、実質の店長業務は自分が行うことにして開店を迎えた。

 

創業店の営業スタイルは、地方部においては良い結果が出るが、都市部に行けば行くほど微妙に難しい結果になっていて、そんな都市部でうまくいかないという状況は、かつて会社を分けてその後店舗展開していた昔の幹部の別会社の結果でハッキリ表れていた。
この昔の幹部の会社であるF社は、群馬、埼玉、長野、栃木…と店舗を増やしていき、父親の作った「うらしま」という店名の回転寿司店は、40店に達しようとしていた。
そんな中で、創業者である父親の経営する「うらしま」は新しい沼田店を含めて3店舗であり、他の店はすべてかつての幹部が経営するF社の店舗で、我々の会社とは関係のない店舗だった。…と、自分もずっと思っていた。
かつての幹部が経営するF社は、自分たちとはまったく関係がなくなっている会社だと思っていたわけだが、定期的に訪れてくるかつての幹部が父親と話している内容から、どうもまだ複雑に関する部分があるのだということを感じていた。
このことについて、父親に詳しく突っ込んだ話を聞いていくと、どうやらこのF社の創設時の借入金の一部に関して、連帯保証人としてのサインをしていることがわかり、担保としての土地も提供していたようだ。
当初はもっと本格的にいくつもの借入金の連帯保証人になっていたようだったが、それを時間をかけて外れていくようにして、やっとあと少しの所まで来ているとのことだった。
かつて、創業親族がこのF社の幹部や父親と大きくもめた時も、こうした担保として提供した土地の中に創業店の敷地である父親本家の土地が含まれていたことが問題になったということがわかってきた。
とりあえずは、繰り返し連帯保証人を外してくれるようにF社や金融機関に働きかけていくしかないということで、この段階ではそのままにしておいたのだが、やがてこの連帯保証人としての責任が大きく降りかかる事態がやってくることになるのだった。

 

 

(2014年11月14日発信)


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