倒産社長!再起への「道」!!


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「私の高校時代…。」その25

大学入試に挑むことになった1984年…。
高校生活のほとんどは、勉強とはまったく関係ない生活を送っていた自分が、急に大学受験を決めて数ヶ月間受験勉強に取り組んではみたものの、そんなことで大学に受かる学力が身に付くものでもない。
それは自分でも感じていたことで、入試時期の前にすでに東京の予備校を調べていた。
受験に失敗したとしても東京に出て、都内の予備校で浪人することを考えていたのだ。
そして、高校生活あとわずか…となったこの時期になって、高校を卒業することが無性に寂しくなってきた。
振り返ってみれば、自分のやりたいことを、やりたいようにやってきた高校時代だった。
ボクシングがやりたい…と、隣の学校のボクシング部へ行って練習したら、大会に出られて県の2位になった。
アイドルになりたい…と、東京の養成所へ通ったら、デビュー候補生というレコードデビュー一歩前まで行った。
毎週東京へ通うなんて、田舎に住む普通の高校生が自力でできることではない。
父親が回転寿司店を始め、この店が繁盛店となっていったことで、忙しい店では常に人手を必要としていた。だから自分は、日夜店の仕事を手伝ってアルバイト料を稼ぐことができた。
両親は、新しく始めたこの事業が忙しくて、子供がやっていることを気にしていられなかったということも自分に味方していた。
やりたい!と思ったことには、思う存分挑戦できる環境があったのだ。
自分自身がそれぞれの分野で思い描いていた成功イメージには届かなかったのかもしれないが、体験してきたことは計り知れない貴重な財産となったと思う。
あの高校時代から30数年経っている今振り返ってみても、当時のワクワク感が蘇ってくる感覚があるのだから…。
こうして、1984年の正月から卒業する3月までの間は、高校生活が終わってしまうことが寂しくて寂しくて仕方がなかったようだ…。
そんな気持ちが当時の日記には記されている。

まだ卒業したくない…と。

 

大学受験は、中堅の私立大学を何校か受けた。
あわよくば受かる可能性がある難易度の低い大学を受験すればいいのに、ある程度名前を知っている大学の受験を選択した。
浪人することは覚悟していたことなので、知らない名前の大学よりも、落ちてもいいから知っている名の大学を受けてみたのだ。
そして、案の定、全部落ちた…。
覚悟はできていたことなので、特にショックを受けるでもなく、東京へ出て浪人生活を送ることを決めた。
予備校の資料をいろいろと取り寄せて、代々木ゼミナールで浪人することにした。
代々木ゼミナールを選んだ理由は、当時「講師の代ゼミ」と言われる位に、人気講師がたくさんいたから…。「お祭り講師」と呼ばれる興味ある講師の授業も受けてみたかった。
とにかく、面白そうだったのだ…。
浪人生専用の寮の紹介もあったが、東京に出たら一時休止している芸能活動を復活させたいという気持ちもちょっと残っていたので、アパートでの一人暮らしをすることに決めた。

 

 

(2015年11月26日発信)


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