THE 倒産!


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24.“最期の時”を考える…。

 

2004年9月、藤岡市における「伝説の江戸前茶屋」の閉店撤退。
営業わずか5ヵ月間という大失態に対して、創業親族からの攻撃がまた激しくなりその責任の取り方を追求された。
こうした社内の状況に対して責任を感じた外食事業部の幹部が辞表を出し、自分はこの2年半の間各店舗改革を指導をしてもらってきたコンサルタントとの関係を解除することでしかこの騒ぎに対応する手が見つからなかった。
こうして自分は、ここまで共に会社改革を進めてきた信頼するブレーンを失った。
また、こうした混乱の影響から、この時期に多くの優秀なメンバーが会社を去ることになってしまった。
会社業績を立て直してきたことで得た自分に対する信頼は、また大きく崩れ去ることになった。

 

そしてこの頃から本格的になってきた、F社倒産負債に対する父親の連帯保証人の問題に対する対応。
父親の認知症発症もあり、その対応は自分が行った。
大きな失敗のあった後、その撤退後の様々な処理を行いながらの問題対応は、毎日が苦悩の日々だった。
結局、父親はこのF社の負債の一部を被る形になったのだった。

 

それでも、会社は前に進んでいかないといけないと思っていた。
幸い「すし伝説 前橋岩神店」が好調だった。回転寿司店として、競合する店舗に対して自分たちは何でお客様から選ばれて行くかということを店舗メンバーが理解していて、それが学生アルバイトを含めたメンバー全員に浸透しているように、店は活気に満ちていた。
メインバンクである金融機関も、この店のやり方を評価してくれていた。
一方、回転寿司「創業店」のある渋川市に、いよいよ競合店となる回転寿司店が出店してくるという情報が聞こえてくるようになった。
いずれ、こうした時がやってくることはわかってはいたが、いざその時が来ることがハッキリすると、心の動揺は隠せなかった。
メインバンクからは、「創業店」に対する早急な対応を求められた。
「創業店」を「すし伝説」スタイルに切り替えることに対して、融資協力をするとのことだった。
…それでも、この段階になってもまだ「創業店」の創業親族のおじさん、おばさんたちを説得することができなかった。
自分の失敗を棚に上げて…、という声が聞こえてくるような状況に、強く出られない自分がいた。
そこで、「創業店」のすぐ近くにある「FCラーメン店」の店舗を回転寿司に改装するという綱渡りのような出店を模索し始めた。
金融機関を説得する様々な要素を見つけながら融資を取り付け、「FCラーメン店」を閉店し回転寿司「すし伝説」開店を目指していった。
新しい「すし伝説」がオープンした後、「創業店」を閉店する…という流れをメインバンクと約束し、改装を含めた出店費用の融資が決まったのだった。

 

今になって振り返ると、「伝説の江戸前茶屋」の撤退以降、自分の経営に対する考え方が微妙に変化していたと思う。
この頃に、F社倒産処理に関する対応が本格化していたことからそんな考え方になったのかもしれないが、自分としてはもし自分の会社をF社同様に倒産処理するとしたら、どうしていくのが良いのか…ということを考え始めていた。
この段階で会社借入金の連帯保証人になっているのは代表である自分と、創業者である両親の他にはいなかった。
新規融資を受ける時に、新たな担保物件を求められたり、連帯保証人の追加の話をされたこともあったが、そうしたことに関してはすべて断ろうと決めた。それで融資が受けられなくて会社が行き詰ったら、その時は決断をしよう…、と思った
「創業店」の敷地である親族の土地が担保に入ってしまっているので、これも何とか担保を外してもらえないかと何度となく交渉していた。
自分の中で、自分たちの“もしもの時”、会社としての“最期の時”が来たとしたら…ということを意識し始めていたのだ。
言ってみれば、この頃から倒産へ向けてのカウントダウンが始まっていたと、今になって思う…。

 

 

(2014年11月30日発信)


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