THE 倒産!


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27.最後のメッセージ

 

2005年11月、「すし伝説 渋川入沢店」開店のために閉店した「FCラーメン店」のFC本部W社長に会おうと静岡県浜松市へ向かった。
ずっと気になっていたことだったのだが、FCを脱退した自分にはW社長の詳しいことを本部に問い合わせることができなかった。
怒っているのか…、それとも具合が悪いのだろうか…、という不安も感じていた。
この浜松訪問には、父親もずっと気にしていたとのことで一緒に行くことになった。
この頃には、父親は会社にはほとんど顔を出すことはなく、山の農園で毎日木をいじって時間を過ごしていた。父親の認知症の進行は、まだ日常生活に大きな影響が出る程ではなく、朝から暗くなるまで山で過ごしていた。今思えば、こうして一日中山で過ごしていること自体も、この病気からきていたことだったのかもしれない。
何だか急に農機具を購入してみたり、同じものを大量に揃えてみたり、周りの人とのトラブルがあったりということは確かにあった。それでも、普通に話している時には今までと変わらないし、この浜松訪問に関しても、ずっとW社長のことを心配していて、会いたい…ということを言っていた。
当日は、早朝に群馬を出て昼頃までに浜松へ着いて、W社長に会って、その日のうちに戻ってくるという予定を考えていた。ただ、この訪問も事前にW社長やFC本部に知らせると、また会ってくれないかもしれないと思い、W社長の自宅へ直接行ってみるつもりだった。それで留守だったり、会ってもらえなかったら、そのまま戻ってくればいい…と思っていた。
車の中では、父親といろいろな話をしながら行った。
浜松に着いて、W社長の自宅近くまで行ってから電話を入れてみた。
「ちょうどこちらに来る用事があったので、ご挨拶だけでもと思いまして…」と言った。本当はW社長に会うためだけに来たのだけれど、そうは言わなかった…。
W社長の奥様が電話に出て「ちょっと待ってください…」と言って、しばらく時間があった。
W社長も自宅に居たようで、相談している様子だった。
しばらくして、「30分くらい待ってください…」との返事を奥様が伝えた。
30分後、W社長のご自宅へ行った。
玄関に奥様が出てきて、久しぶりの挨拶をして、部屋へ通してくれた。
部屋にいるのかと思ったW社長の姿はなく、父親と二人しばらく待っていた。

ドキドキしていた。自分に対しての怒りはどのくらいあるのだろうか…、と思っていた。
長くお世話になっていたFCを突然脱退して、こうして突然浜松まで押しかけてきて…。
いろいろな思いが頭の中で渦巻いていた。
…部屋の襖戸が開いた。
満面の笑みでW社長が現れた。本当に満面の笑顔だった…。
以前と変わらない笑顔のW社長を見て、一緒にいた父親は涙を流していた。
父親は認知症になってから、懐かしい人に会うとすぐに泣いてしまうのだ。
その場に座って落ち着いてから、W社長が帽子を被っていることに気が付いた。
帽子への視線に気付いたのか、W社長は「実はこうなっちゃったんだ…」と自ら帽子を取った。
30分待って欲しいと言ったのは、身支度を整えて以前と変わらない姿で自分たちを迎えようとしたW社長らしい気づかいだったようだ。
そして、病気について語り始めた。
病名を知らされて涙が止まらなかったということ。治療によって、髪の毛がなくなってしまったこと。
そして、自分に向かって「大変な時に力になってあげられなくて本当にすまなかった…」と言って頭を下げた。
自分がFCを脱退したいと連絡した時、本当は自分の所へ駆けつけたかった…と言った。悩んでいるだろうことはわかったし、あの時に何もしてあげられなくて…と、そんなことを詫びているW社長に、きっと怒っているんだ…、なんて思っていた自分が本当に恥ずかしかった。

 

この時のW社長と父親との話では、印象に残っている言葉がたくさんある。
外食企業を創業し、ひとつの時代を築いた二人の話は、お互いが抱えている病気を忘れてしまうような奇跡的な時間だったように思う。
数時間があっという間に過ぎた…。
そして、W社長自らが病気になってから書き始めたという毛筆で書かれた文章を見せてくれた。
何故自分は病気になったのか…、その現実を前向きに受け止めて闘って行く…と、W社長の決意と、これからの生き方対する考えを書いていこうと思っていると話していた。
「これが完成するまでは死ねない…」と言った。
W社長は最後に、大きな手で力強く自分の手を握ってくれた。
その掌からは、自分に対しての応援のメッセージがたくさん伝わってきた。
浜松に来て良かった…、と思った。
帰りの車の中で父親は、W社長に会えて良かった…。これで思い残すことはない…、なんてことを言っていた。

 

…この時が、W社長と話した最後だった。
この訪問から1年後、W社長の訃報が届いた。
あの時のW社長の姿、父親の姿…。
今でもよく覚えている…。
今思うと、父親と二人で普通にいろいろなことを話しながら遠くまで出掛けたのも、この時が最後だった…。

 

 

(2014年12月3日発信)


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