THE 倒産!


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42.一週間前…。

 

2007年11月16日、月末に裁判所に民事再生を申立てるということを弁護士事務所にお願いし正式に決めた。
この当時の自分が記していたメモを見返していて、11月16日の日付でこんな文字を見つけた。
まさに走り書きの崩れた文字で、書かれているのはこんな言葉だった。

 

「どうなんだ?もしかして可能性はあるのか?あきらめちゃいけないのか?」

 

この方法しかないと決断した自分だったが、夜中一人になってこんな複雑な心境になっていたのだ。この走り書きをした時のことはうっすら覚えている。
夜中、眠れなくて、自室のベット脇で書いた文字だ。
営業店舗、従業員、取引業者…、会社と関係するすべてのものをできる限り維持、継続したかった。この状況になってこんな言葉を使うのは本当に申し訳ないが、守りたかった…。
それには、ここで自分が決断するしかないと思った。
だからこの日、弁護士事務所に処理手続きのお願いをしたのに、夜中になってどうにも複雑な気持ちになって眠れなかった。

 

11月17日、18日の週末は、ただひたすらこれからのことを考えていた。
社員にも取引先にも、誰にも情報が知られてはいけないということで、人と顔を会わせることができなかった。
事務所の自分の作業部屋に閉じこもって、弁護士事務所から言われた会社資料を揃えていた。
弁護士と、裁判所へ申立をする日を相談した。
月末の関連業者さんへの支払い日前に保全処分を出してもらうことが必要で、11月27日に裁判所へ申立書類の提出に行くことを決めた。
手続きの中で大きな問題がなければ、その場での申立となり、遅くても翌28日には保全処分、監督命令が出るとのことだった。
こうして弁護士事務所が本格的に動き始めると、どんどん準備が進んで行って、会社は自分の手を離れて“最期の時”へ向かって勝手に動いているような感覚だった。
自分はどう行動して良いのかわからなかった。
この数ヶ月間、資金繰りと会社再生へ向けての悩みの中で、時間に追いまくられながら飛び回っていた自分だったが、この時には弁護士事務所を通して指示されること以外に動くことがなく、突然何をしていたらいいかわからない時間ばかりになってしまった。
社員に会えば、いつも通り営業における問題点の話をして、いつもと変わらない様子を作ることに努力していた。
この期間、普通に振る舞っていることが本当につらかった。
でも、これしか会社に関わっている皆を守る方法がないんだ…と、自分に言い聞かせていつもと変わりなく、普通に振る舞っていた。

 

2007年11月20日、火曜日…。
民事再生申立の日まであと約一週間…。
この日、かつて4〜5年前に一緒に店舗改革を手伝ってくれていた方が、たまたま群馬に来ているとのことで連絡があり、会うことにした。
この時、どうしようか…とも思ったのだが、当時の苦しかった会社を一緒に立て直したこの人だけには話しておこうと思って、月末に民事再生申立をすることを話したのだった。
こうして振り返れば一時的ではあったが、あの頃が一番会社に勢いがあった。このまま大きく成長していけるだろうという確信に近い思いがあった時だった。
あの頃からわずか4〜5年…。
自分はこの決断をするまでになってしまったのだ。
いろいろな話をしたが、この方は申立て後の自分の家族のことを心配してくれていた。
ありがたい言葉だった…。
この時、移動している車の中で話しながら、道を歩いている取引金融機関の支店長の姿を見かけた。メインバンクでない金融機関の方だが、何かお祝い事の帰りのようで黒いスーツに白いネクタイをして、赤い顔をして何人かの人を引き連れて歩いていた。

 

その姿を見ながら、一週間後に自分が報告に行く時のことを思った。
一週間後…。
この方は、その時どう自分の話を聞くのだろうか…。
今ここで、上機嫌で歩いているこの方の顔がどう変わってしまうのだろうか…。
そんなことを考えながら、心の中で「一週間後に、お詫びに行きます…。申し訳ありませんでした…」と、呟いていた…。

 

 

(2014年12月18日発信)」


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