THE 倒産!


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50.自分はどうするか…。

 

最初に名乗り出てくれた1番目の再生スポンサー企業となるA社は、先行して全店舗の従業員メンバーとの面接を済ませ、引き継ぐ店を3店舗と決めて、そこで採用する社員を発表した。
2007年12月10日の月曜日、裁判所への申立から13日目のことだった。
自分としては、全社員の雇用継続が民事再生を申立てた時の最大の願いだったので、ここで継続採用されない社員メンバーが出ることがどうにもつらかった。
しかし、これから先は新会社であるA社の考え方、判断で動くことになるので、それに対して自分から意見するわけにはいかない。
A社で引き継がなかった店舗と社員メンバーを、別の再生スポンサー企業に引き継いでもらいたいと思い、別のスポンサー希望企業に対して店舗資料を作成し、引継ぎのお願いに動いた。
先に高利益店舗を取られてしまっているので、どうしても残った店舗だけを引き継いでもらうことは難しく、いくつかの企業の社長さんと会ってお願いを続けた。
こうしている中で、地元の企業B社の社長さんが話を聞いてくれるとのことで、お会いして説明をさせてもらった。この社長さんもできれば全部の店舗を引き継ぎたいと思っていたようで、こうして後からスポンサーとして名乗りを上げてくれる企業さんが続々と出ることがわかっていれば、いろいろと考え方も違って動けただろうに…、なかなかうまくいかないものだ…、と思った。
それでも、この社長さんのB社が残った店舗から2店舗を引き継いでくれて、この段階で5店舗が2つの会社に分かれて引き継がれることが決まった。
その後、年が変わってから1店舗が更に別の会社C社に引き継がれたので、結果的には6店舗がこの民事再生申立後に会社を変えて営業が続いたのだった。
全店舗の営業継続は叶えられなかったが、勤務継続を希望する従業員メンバーは全員、会社はそれぞれ別れたが継続して勤務できることになった。
こうして、店舗と従業員の引継ぎに関しては、何とかその後の形ができた。
2007年12月31日までは、民事再生を申立てた「栄進」の営業で、2008年1月1日から店舗を引継いだそれぞれの会社A社、B社に引継がれての営業が決まった。

 

そして、自分はどうするか…。
本当にありがたいことに、A社、B社、C社…、それぞれの会社から自分も含めて引き受けると言って頂いていたのだが、自分の本心はこれで外食産業からは離れようと思っていた。
それでも、最初に接触を持ち動き始めてくれたA社では、すでに自分の役割も決まっていて、ここまで動いてきて「残りません…」とも言えない状況だった。
引き継がれた店舗の運営上の問題もあるだろうし、しばらくはA社に残って勤務することが筋道として一番良いのだろうと思い、そうさせて頂くことを決めた。
自分自身も4人の子供を抱えてこれから先の生活の不安もあるし、ひとまずはどこかにお世話になっていかないとどうにもならないとは思っていた。
でも、運営が軌道に乗って来たら、自分はこの会社からは引き下がり、外食産業からは離れようと思っていて、その決心は揺ぎ無いものとなっていた。

 

A社が引継いでくれた3店は、利益獲得額の大きい3店舗だったので、やり方をあまりいじらないで運営した方が良いと思っていたのだが、経営が変わっていろいろな意味で今までと違ったことをやりたいと思う新会社の思いもわかる。
自分としては、新会社の考えるやり方を店舗に浸透させることが自分の役割だと割り切って、新会社の運営にかかわっていった。
B社、C社に引継がれた店舗は、店名を変えて営業を続けていった。
こうして、自分が営業継続を求めてそれぞれに引継がれた店舗は、かつての営業スタイルとは少しずつ形を変えていった。
自分はA社で勤務をさせてもらいながら、自分の会社であった「栄進」の倒産処理を進める日々が続くのだった。

 

 

(2014年12月26日発信)


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