倒産社長!再起への「道」!!


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「私の高校時代…。」その6

1981年、高校1年生の暑い時期、自分の生活はボクシングの練習と歌マネの練習に費やされていた。
そして、夏が終わり秋になる頃…。
父親が取り組もうとしていた回転寿司店の建築工事が本格化していった。
脱サラして始めようとしていた父親の新しい事業に自分も興味を持ち始めて、父親が親戚のおじさんおばさんたちと話す回転寿司店の話を聞きながら、面白そうだ…と思っていた。
と同時に、TVに出たい…という自分の気持ちはどんどん大きく湧き上がっていき、抑えきれないような状態になってきていた。
その気持ちは、ものまね番組に出るというよりも、自分自身がTVタレントになりたい…という気持ちに変わってきていて、新聞等にたまに出ている「新人タレント募集」というタレント養成所の広告に目が留まるようになった。
9月から10月にかけて、タレント養成所のオーディション広告を見つけては、履歴書と写真を送っていた。
それでもいざオーディション通知が来ると、東京まで行くことを躊躇して行かなかったり…と、そんなことを繰り返していた。
こうして、11月に回転寿司店は開店し、同じ頃あるタレント養成所のオーディション通知が来たのだった。
このオーディションも行くかどうしようか悩んだのだが、勇気を振り絞って行ってみることにした。
オーディションの日は、寒い朝だった。
この日のために購入したえんじ色のセーターを着て、まだ暗い早朝に駅まで歩いて、上野行きの始発に乗った。
上野まで2時間半くらい。電車に揺られながら、TVに出る自分を想像していた。
上野に着いて、何度か乗り換えてオーディション会場のある駅に降りた。冬の寒さを感じる日で、着ていたセーター1枚ではかなり寒かったのを思い出す。
オーディション会場のあるビルの前まで来て、何だかドキドキしてこのままオーディション受けずに帰っちゃおうか…とか、そんなことも考えた。
そんな気持ちで会場近くの商店街を歩いていると、どこからともなく松本伊代の「センチメンタルジャーニー」が聞こえてきた。

「伊代はまだ16だから〜!」というフレーズに何だか勇気をもらい背中を押された感じがして、「俺もまだ16だから〜!」と口ずさみながら、オーディション会場に入って行った。
オーディションで何をやったのか詳しくは覚えていないのだが、審査員が並んでいてその審査員の中に浦辺粂子さんがいたことが記憶に残っている。
確かプリントで渡されたセリフを言う場面があったのだが、「頼む!頼むからさぁ!…」とか何とか言うセリフがあり、浦辺粂子さんに「あんまり頼んでないねぇ」とダメだしされたことは覚えている。
こんな感じだったので、オーディションには落ちるだろう…と思っていたのだが、11月の終わり頃に「合格」の通知が来た。

 

さてこうなってしまって、どうしたものか…、と思ったのだった。

 

 

(2015年11月7日発信)


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