倒産社長!再起への「道」!!


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「私の高校時代…。」その10

1982年6月に行われた県のインターハイボクシング大会。
この大会に出場することになった自分は、大会前の準備期間は純粋にボクシングに集中して打込んだ。
週末の東京へのレッスン通いも休んで、ひたすらボクシング練習をした。
出場する階級は、ライトフライ級に決まった。
自分では、一番体重の軽いモスキート級での出場を望んだのだが、成長期の今は減量が必要な階級には出ない方が良いと先生から言われ、その言葉に従った。
ライトフライ級であれば、減量する必要はまったくなくリミットに余裕がある状態だったので、計量の時にパンツを履いていてもクリアできるぞ!っと思った自分は、恐る恐る先輩にまたパンツのことを聞いてみたが、やっぱりダメだと言うので、さすがにもうパンツのことはあきらめた…。
こうして、初めての大会を迎えた。
アマチュアのボクシング競技においては、ヘッドギアをして、グラブも大きなものを使うので、パンチを受けた時のダメージは軽減されてはいるが、それでもパンチをもらえば痛いし、意識がとぶことだってある。
時々、競技中に生命にかかわるような重篤な事故が起こりニュースになったりする。
ボクシングの試合に出る以上、もしかしたら死ぬかもしれない…、という恐怖感があった。
試合が近付くにつれ、こうしたドキドキ感が高まっていった。
県のインターハイボクシング大会は、6月中旬の金曜日から始まり2日間で準決勝までの試合を消化して、日曜日に全階級の決勝戦が行われるような日程になっていた。
組み合わせが決まって、ライトフライ級の自分の名前を探すと、いきなり日曜日の組合せに名前が出ていて驚いた!
何とまあ、この大会のライトフライ級の出場者は二人で、自分の初戦がいきなり決勝戦ということになったのだった。
そして相手は、一緒に練習してきた隣の学校のボクシング部のT選手だ。
T選手は、当時フライ級の選手だったのだが、この大会では階級を下げてライトフライ級でエントリーしていた。

この当時、県のフライ級には全国でも名の通った有名選手がいて、T選手はこの有名選手と毎回決勝で競り合うような強い選手だった。
T選手がこの有名選手とのつぶし合いを避けたのかどうかわからないが、階級を下げてエントリーをしたところに、自分が唯一エントリーしていたというわけだ。
実際、T選手と自分との実力の差は、一緒に練習していたのでよくわかっていて、組み合わせを見た時に、本当に死ぬかもしれない…、と思ったのを思い出す。

 

 

(2015年11月11日発信)


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