倒産社長!再起への「道」!!


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「私の高校時代…。」その19

一方で、学校の方はと言うと…。
ボクシング練習の時間は減ったが、それでも完全に辞めることはできず、週に一度くらいはジムに通っていた。
ボクシングの先生には「アイドルになりたいのでやめます…」なんて言える筈もなく、「来い!」と言われる練習に、「行きます…」と答えながらノラリクラリと逃げ回っているような日々だった。
その他の時間は、回転寿司店で寿司を握る。そんな生活だった。
そうした中、学校の生徒会役員選挙に立候補したりして、また一つ時間を使う役割を引き受けたりしたのだった。
頼まれればとりあえずは何でも引き受けていた頃で、生徒会も役員に立候補する人が足りないので…、と生徒会担当の先生に言われて出たような気がする。
この頃、理由を明らかにしないで学校を欠席することが増えてきていたのに、先生もよく自分に話を持ってきたものだ…。
確か生徒会の引継ぎ合宿みたいなのがあって、夜のミーティング時に田原俊彦の「NINJIN娘」を振り付きで披露したら思いがけず盛り上がったりして、やっぱり自分はこういう道に進まないと…、と改めてひっそり決意したりしていた。
学校では、当時のアイドル「ひかる一平に似てる…」なんて言われていて、自分でもその気になっていたし、とにかくこの頃の自分は、アイドルになる!という目標に向かって、毎日何かしら動いて、考えて、悩んでいた…。
それなのに、当時の担任との面談で「何も悩みがないでしょう?」と言われたことがあったようで、この時の日記には憤慨した自分の気持ちが怒りに震える文字で書かれていた。

 

自分は高校に入学する直前くらいから、毎日日記を書いていたのだが、これがこうして今になって当時の自分を振り返った時に興味深い過去の出来事を思い出させてくれている。
この頃からの継続で、今現在もネット上に毎日何かしら書き記すようにしてきているが、高校時代の日記をまさかこんな30数年たって読んでみるなんて、当時は考えもしなかったことだ。
何かしら残しておくと、結構貴重なモノになったりする。

 

さて、こうして様々なことに挑戦した1982年、高校2年生の自分…。
もしかしたら、今までの人生の中で一番刺激的な年だったのかもしれない。ちょっとバカだったけど…。
そして、何だかんだで1982年も暮れていくのだった…。

 

 

(2015年11月20日発信)


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